- 『クオキイラミの飛礫 ワタシヲスクエ!』2017, 野戦之月 -



 2017年秋、『野戦之月』公演(9月14日~18日)、井の頭公園西園にてスタートしております。
 今回もわたしはテーマ曲を歌で協力させていただいております。


 18日、月曜日は千秋楽、開場は18時30分、開演は19時です。
 皆さん、是非、ご覧になってみてくださいね。


 詳細: http://yasennotsuki.wixsite.com/yasennotsuki







 桜井李早





- "Many a slip 'twixt the cup and the lip" -



 漱石の文粋は多々あるが例えば『猫』において、"月並み"という言葉に「馬琴の胴へメジョー(Major)・ペンデニスの首をつけて一、二年欧州の空気で包んでおくんですね」と迷亭氏に語らせるあたり、明治人に解り難かろうがそれ、現代もジョークを解せない人には見逃され伝わらないひとつかな。
 "月並み"とは、正岡子規が、毎月、一定の日に句会を開催する旧派の集いを評して<月並み俳句>と呼んだことからこれがありふれていいるという意味として世間一般に広まっていったことが発端で、その言葉が日本語として広められたという意味では、子規の持つ個性的皮肉の表現が新しい日本、つまり明治に咲いた日本語の気質ある意気込みとして気のきいた言葉の例のひとつでもある。
 わたしたちは今や、"月並み"という言葉に慣れている、人類も月に行ったとされる20世紀を経ているのだからして、そこで、はて、そう考えると、"月"と"並"とは、そう、遠くないのかもしれない。

  
 秋らしくなってきた今日この頃、その近くて遠そうな月を、並な角度から眺めるのが愉しみとなる宵。





 ここにあげた写真は、かつて宅で"ロンドン"と名付けた猫のものである。
 あまりに庭先でニャーニャーと鳴いているので気になってみると、それは以前飼っていた猫によく似た者だった。
 あまりに空腹そうなので、パンを差し出したが、匂いだけかいで食べようとしない。
 ハムを千切り差し出したら、「ウムフムニュム〜」と勢いづいて食べ始めた。
 …贅沢な奴… と思いながらも翌日から生活を共にした。
 それは短い年月だった。


 "Many a slip 'twixt the cup and the lip" という言葉を以前、わたしの漱石はわたしに教えてくれた。
 それは、人間、何時死ぬやらわからない、という意味らしいが、一見英文でありながら、それは古、ギリシャ人の下男がその主人に向けて予言的に発した言葉がもととなっているのだとか。


 このごろ、それは今、21世紀なのだが、相も変わらず、どこの国が、とか、どこの民族が、とか甚だしく差別的混乱があちこちで起っては人びとが争ってやまないが、" Many a slip "twixt the cup and lip"を"近くて遠い杯と唇の間に多く過ちがある"と解釈し、それが世界と考えると、わたしたちの意思の疎通とは、はなはだ難しく、遥かギリシャの時代、いやはや、幾千年万年の昔から、人類とは平気のへいさで我が儘を通し、それが通らなくば癇癪を起こすか、首つりでもするようにできている、甚だケッタイな存在なのかもしれない。
 だって、猫は自ら、首つりはしない。

 
 だからといって、猫生が豊かかといって、それも不確かなのであろう。
 同じ猫同士であっても強きもの弱きものあり、そこへ厄介な人間という種類が関わってきたりしたら、猫族本来の力というものも変化、或いは弱体化してしまう。
 居心地の良さそうな環境は甘いだけに、毒もある。


 愛した彼の猫-ロンドンは、或る日突然、野生の命じるまま男らしく冒険の旅に出かけ、傷つき、病魔におかされ、一度戻り、再び行方をくらませ、闇にあり、ひと鳴き、弱き声を五月の真夜中にこちらに伝えたが最後、その行く末を告げぬまま、わたくしのもとを、永遠に去った。
 恐らく、命が絶える寸前まで、姿をわたくしに現さないまま、それでも、彼はわたくしを見ていただろう。
 月がわたしを見ている、それは並んでいること、と解釈してもいい。
 何も、遠く、高い所とこちら、地にへばる者との境界などものともせず、天も地も同様。
 天国も地獄もなく。
 ここに生きているのだから、それでいいじゃない、と。
 尽きたらはい、そこまでよ…それは愉しかった。
 と、どの季節を選ぶでもなし、並にあり、月がそこにあると感じられたらその時、幸いだろう。


 冒険するのは生物の性かもしれない。
 しかし、そこに杯が待っているとは限らない。
 教訓として、人間は奢りたかぶるときこそ、危機なり。


 このことは、猫生とは、異なる。
 わたしが感じるに、人間以外の動物には、奢りなど、ない。
 確かに強きもの、弱きものはある。
 だが、正義などという精神は、人間以外の動物には無用だろう。
 彼らはそもそも、そんなことを考えずとも、自然の中で生きていける。
 わたしはそれこそが、生命の力なのだと最近感じる。


 "Many a slip 'twixt the cup and the lip"


 その有様は、あまりにも人間的な見地でもの申すわけである。


 故に、漱石の『猫』が、わたしには愛くるしく、愛くるしく、だけでなく、漱石の胃痛まで一緒に背負って(それは常ではないが)、昭和、平成の異端者と、これを半世紀過ごし願わくば更に乗り切りる覚悟の<おちこち>、現在37~8キロの動物が、どうやらわたしである。


 このような<おちこち>類は、わたしの身近にもあるだろう。

 
 詰まらないおはなしを、失礼。
 このごろは、寝言だけでなく、歌なども、歌いながら過ごしました。

 


 桜井李早の枕草子 © 





- 座る -



 わたしにとって、今年の夏は大事な、大事な夏であった。ゆえに、個人的に在り、あまり余所の事にかかわらないまま、暮らした。
 来年の夏も大事だろう、再来年も、そうだろう。
 この秋も、大事な秋という事のできる秋であり、その次の季節も同様だろう。


 先日はお墓参りをした。わたしの実家は禅宗である。父方の祖先も母方の祖先も同じお寺に埋まっている。子供の頃から、お寺に行く時はいつも天気が良く、それはお盆やお彼岸と限らずであった。
 だからわたしはお寺が好きであり、お墓が好きだ。今、わたしが暮らす土地にも禅寺があり、そこの敷地にある地蔵堂は国宝とされている。わたしはその禅寺を季節きせつ、散歩を兼ねて訪れるのだが、わたしの知る人がそこに眠っているわけでなくともわざわざ墓地にも足を運んだりする。決していたずらに墓地を歩くのではない。そこに行くと、生きる人たちのたゆたう心とは別の沈黙の心が植え付けられているような気がして、落ち着くのである。
 死びとに迷いなどないと考えられる。
 ただ生きている者のみ、迷いが与えられ、そこに完璧も見当たらなくても宜しい、と言われるような––これはわたしの生き方の甘さが捩れ、そのような救いを求めているからかもしれないが––それでも、そのように生きる事への疑問がやや正される、というか、わたしのような者でも生きて暮らしていいのだと許されているような心持ちになることができるからだろうか… 駄目だね、こんな事では。

 
 わたしなど、どうせ極楽にはゆけない者である。
 これ幸いと、竿の先にとまる赤とんぼのように、里に産まれたら、そこを去り、色を変えて再びやってくる。
 ヤゴだった頃を、憶えてはいるくらいの僅かな進歩はあるだろうが、それくらいなものである。
 その赤とんぼを柔らかく迎えてくれた家族があった。
 皆で鰻を食べた。
 夕立がくる夕べに出かけ、食事の後は、湿った残暑の空気が立ちこめていた。
 鰻は流れを縫い、焼かれたる我が身の証を曝ける如く。
 それは白く、一筋ひとすじを、「これがわたしです、わすれないように」と言わんがばかりにその命の道筋を声なき声として、香ばしい姿となり、重箱の中に治められる。
 一口齧ったときには、あら、薄味かな、と思いきや、ふりかけた山椒とともに噛み締めていくうちに、これでいい、これがいい、と感じさせてくれる見事な案配だった。
 鰻屋は老夫婦の商いで、その日の分がなくなったら、店を閉める、もはや常連客だけで商いをしていれば、ふたり、十分なのだそうだ。
 満願、という言葉が浮かんだ。
 生憎その夕、席に列する事ができなかった家人が残念がっていたので、次がありますから、と笑顔した。





 鰻を食べた後、わたしはすぐに眠くなる。その晩、わたしは22時頃には床についていた。


 今宵は虫の音など聴きながら、こうして座り、とりとめのないことをぶつぶつ吐いているが、それは、秋の呼びかけなのか、或いは夢の中で鵺の声など聴いたのか。


 何事もわすれず、心たゆたう事あっても、わたしの姿勢を保ちたい。

 
 暫く前から坐骨神経痛に悩まされつづけている日々、だから、上手に座禅とつき合うことは、わたしの理想の姿である。



 

 桜井李早の枕草子 © 





 

"さむらい"という酒








 先日、"さむらい"というアルコール46度の琥珀色の日本酒を飲んだ。越後のお酒のようだが、それはシェリーのような口当たりで、グラス一杯をまず大胆に三口そこいらで飲み干してみるとさあ、この後どうしようかな、という気にさせる酒であった。その晩は、おかげで生温い夜を気にせず眠ることができた。


 ところで先程、その中に水をいれると美味しい水ができるといわれていただき長く使ってきた壷を、庭先で割った漢があった。その漢、普段は佳いおとこなのだが、時々ムキになる。それでは何故、壷を割っていたかというと、漢は連合いに「あなたはいつもその壷の水ばかり使う。美味しい水は他の容器にもできているのだから、他の水も使い回してください」と言われたことに腹をたて、「この壷がなければそんな問題は起こらない」と言いながら、暗い夜の中、静謐を破るようにしてその美味しい水ができる壷を割ってみせた。そればかりか、漢は壷の破片で自分の足に小さな傷までおったらしい。連合いは漢が付けた血液の染みをセスキでせっせと擦り洗った。ここに46度の日本酒があれば、連合いはそれをサッと口に含み、漢の傷に吐きかけることもできただろう。壷を割ったら漢は眠ってしまった。あと少しすれば目覚めるだろうが、その頃、連合いは眠ってしまっているだろう。


 侍、か。
 それを稼業とするのは、おとこでもおんなでもよいわね。
 地獄へ行く覚悟があれば。


 ええ、この"さむらい"という酒、とても良い香りがした。
 日本酒を飲むと翌朝に残ることがあるわたしであるが、この酒に限ってはそのようなことがなかった。
 わたしがこの酒について、気をつけながら嗜んでいたのかもしれないが、侍なら、隙があってはならないだろうしな。


 変わった香りの麦茶ですよ、と幼稚な悪戯で誰かを騙したくなるような日本酒、美味しい水ができるという茶色い壷に入れていみたら、果たして、どんな味になっていたことだろう。




 桜井李早の枕草子 © 





それを見ているのはではない、とあえて言うわ、本当に見ているのはですもの








 写真は先月、美しい緑の影に覆われた軽井沢の庭に立って。


 表と裏が棲み付いて当然でいられるような世界にすがりついていてはいけないわ。
 それは打擲の世。
 よし、貴方が神を信じているとして、では、そのような世界を許す神を、貴方は想像して愉しいだろうか。
 想像が創造となるとは限らない。
 命を軽んじるようなことを、人々が神と名付けたものがまさか作りそうにないと望むとか何とか考える以前に生身の人間は身を持っているからして更に、それ、つまり生命の安寧を正直に望むのみだろう。
 その望みは観念ではなく野生だ。
 私たちは神に造られたのではなく雄と雌のもとに産まれたということが真実で、その命が永遠ではないことを産まれた時から知っている、動物だからさ。
 いつかは死ぬと知っている以上、私たちはそこに至までの時を勤しみ、楽しみたい。
 夢さえ見たい。
 ありふれた言葉ではあるが、夢のような一生であると思いながら目を閉じたいだろう、皆。
 それを邪魔されたくないのだ、それはわたしの利己主義或いは個人主義かもしれないが、そうなのだ。
 産まれたものならどのような生き物でも、<残酷な、過酷な生>や、この頃で言われる<格差>などという言葉とは当然無縁でありたいはずなのに、何故それを問題にするのだろう、人は。
 その当たり前が通らない世の中なら、わたしは、御免だ。
 御免などと言うものは、真っ先に打擲されて然りかもしれないが、もう少し、あの十字架の下にある白い花の輪のように、枯れるまで、枯れるまで。


 *


 そして以下の言葉、何処かの国の権力者たちにこの21世紀、改めてお伝えしたい所。


「元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。…金力についても同じ事であります。責任を解しない金力家は、世の中にあってはならないのです。
 …かい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。
 これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍言い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他の妨害をする、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです」


 ~ 夏目漱石の言葉






 桜井李早の枕草子 ©





 
 

 

ある腫れた日に



 だいぶご無沙汰しております。
 こちらは6月のある日、梅雨の晴れ間が眩しかった午後、学生街の洋食屋さんでお昼ご飯をいただいた後、訪れたお気に入りの古書店前での一枚。





 昨年からちと、再び、先生稼業など行いながらの日々がつづいております。
 お仕事というもの、若い頃から、何でもやって過ごし暮らすと佳いものがありますね。
 わたしのような者は、どうも生身の人間を目の当たりにしながら、つらつら、だらだら、年のせいか、時に因業を交えながら仕事をすることが向いているようであります。


 snsではひっそりさせていただいて随分になるのやらなんやらではありますが、今年の猛暑、個人的に案配しながら、健やかにあります。


 桜井李早





『Die Sünde/罪』- 随分前、チョーサー(Geoffrey Chaucer/1343~1400)風に描いた作物 - 桜井李早©



 私の名は『罪』。いつ、誰が名付けたのか、そうして、一体何のためにこの言葉が生じ、私がそれに該当すると選ばれたのか、私は知りません。私の古くからの知人には、『愛』や『知恵』、『希望』、『憐れみ』…等がいますが、彼らは私よりも好かれているようです。
 そして私は人間がまだ"楽園"という場所に在った頃、その名を与えられたといわれています。書物によると、私が産まれたことにより、人間はその心地よい場所から追いやられ、現在の世界に生きるようになったそうです。私はずっと蛇の姿で表されてきました。そうして私の仮の姿は"女"という生き物とされているようですが、その"女"という種族は私のせいで愚かになったと定義され、長い間、"男"という生き物と同じ権利を与えられないまま生きなければならない状況に置かれてきたようです。


 私の友人のひとりに『嫉妬』がおります。この『嫉妬』も、自分の身の置き所に長く困惑してきたようです。私は『嫉妬』の言い分を聞きました。『嫉妬』はいわば、私の後輩のようなものです。それは泣きながら私に語りました。
「何故、私はこのようにいつも苦しまなければならないのでしょう? 私は一体、何のために産まれてきたのでしょうか? 私は災いは嫌いです。世界の片隅の小さな家を与えられており、本当に私はそれで十分だと思っているのです。それなのに、或る時、突然、命令が下るのです。命令者は私に言います。<そこを出て、大股で歩くのだ。お前のおかげで励まされる人間もいるだろう…>。私は出かけて行かなければなりません。厭な仕事です。私には解っているのです。私が訪問した人間は必ず苦しい気持ちに苛まれる。そしてそこに災いが起る…あなたならお分かりでしょう…」


 また、或る時、私は路上で『貧困』という灰色のマントを羽織ったものに会いました。それは私を見るなり捕まえてこう言いました。
「お前は『罪』だろう? こんにちは、私はお前の評判を知っている。お前の働きで得をするものもいれば損をするものもいるというではないか。一体お前の力とはどこから来るのだ? 私は『富』というギラギラと光り輝くものが排泄したものの中から産まれた。それでも更に『富』は私から全てを吸いつくし、放り投げる。一見美しい顔をした『富』は、禿鷹のように私をしゃぶりつくし、喜んでいる。だから私は次の土地に移らなければならない。私が『貧困』として生きるためには、私は私自身も禿鷹のようになり、私の『貧困』としての仕事が果てるまで、それを続けなければならない。もしもお前が私の言う事を信じないなら、お前は『欺瞞』に会いに行くといい。また、お前が自分の名に疑問を持つなら、『欺瞞』はお前に何か応えることができるかもしれない。しかし、気をつけなさい、『欺瞞』は手ごわい相手だ。ちょっとやそっとでは、本性を見せないはずだ。だから皆、騙されるのだ」


 そこで私は『欺瞞』に会いに行きました。『欺瞞』は広い敷地に暮らしていて、外から眺めるとそれは城のようにも見えました。私がそっと『欺瞞』の門をくぐり、建物の中に入れば、そこには高価なもの夢のような骨董品の数々、かと思えば最新の技術に値する品々が何不自由なく当然の如く備えられています。私がそれらに感心していると、私を呼び止める声がありました。
「何者だ?! ここへ入ることができたあなたは誰かの紹介状を持っているのか?」
 私は自分の名を名乗りました。
「私は『罪』と申します」
 するとその声は先程の尖った口調からほど遠い穏やかな声になって、私に応えました。
「あなたは、『罪』ですか…そうですか…今日は一体、何のご用でここにいらしたのですか?」
「私はあなたと話したいと思ってここに来ました。誰かがあなたなら私の存在の理由を教えてくれるかもしれないと言ったので」
 すると『欺瞞』は姿を現し私に言いました。
「誰がそんなことをあなたに言ったのですか?」
 私は応えて「それは『貧困』です」
「…『貧困』?…ああ、あの"怠け者"ですね。あなたはあんな怠惰なものの言葉に耳をかすのですか?」と、『欺瞞』はあざ笑います。
「私は『貧困』が怠惰かどうか知りません。しかし、私は私の由来を知りたいだけです」。
「あなたは『貧困』の言葉など信じてはいけません。あなたは我々の味方にあって初めて力を発揮する存在です。『貧困』は何ら得策を持たず、状況に甘んじ、時に寄生するしか能力を持ちません。私は進歩が好きなのです。そのために努力してきたのです。誰よりも迅速に手っ取り早く成す事、それを見せつけることによって、私は満たされます。いけませんか? そのような在り方が? それとも、あなたは私を裁きにきたのですか?」
 私はこの『欺瞞』の言葉に戸惑った。何故、私が『欺瞞』を裁くのか…?
「私があなたを裁く?」思わず私は訊きかえしました。
「そうです、だって、あなたの背後には必ず『悪』がいます。『悪』の行く手には裁きが発生し、争いが起ります。それを"戦争"と呼ぶのをあなただって聞いたことがあるでしょう。そして『悪』と争うのは『善』ということになっておりますが、あなたは『善』にお会いになったことがありますか? 私はありません。ただ、私は『偽善』とは親しくさせていただいております。『偽善』はこの世界に"アジト"を持っています。いかがですか、出かけてみては? 『偽善』はあなたを救ってくれるでしょう」
 そう言って、『欺瞞』は薄笑いを浮かべながら扉を閉めた。


 私は『偽善』を探しました。これは、と思う扉を叩き、訊ね歩きました。しかし、どの声も、「私は『偽善』などというものではありません」と言うが速いか、私を閉め出します。
 私は歩き疲れて地面に腰をおろしました。それは夕刻で、どこの家も帳を下ろす時刻でした。その時、私の後ろの窓が開き、誰かが私に話しかけます。
「あら、そんなところで何をなさっているのですか?」
 私が振り向くと、窓辺には小さな顔の"女"に似たものが微笑んでいます。
「疲れてどうにも動くことができなくなってしまったのです」私が立ち上がりながらそう言うと、窓辺のものは言います。
「中にお入りください。私たちはこれから慎ましい晩餐をいただきます。よろしかったら、あなたもご一緒しませんか?」
 私は嬉しくなって家の中に入りました。
 そこは整頓された清潔な家でした。温かい部屋の中で、私の冷たい身体は落ち着きました。見ると、もうひとり、そこには均整のとれた姿をしたものがいます。その存在は何故か私に恥じらいを与えるのです。私はとても場違いな印象を受けました。すると先程の"女"に似たものがこう言いました。
「私は『礼節』と申します。今夜は私の友人の『理性』と共に食事をしようと思っていたところです」
 私は逃げ出したくなるような気持ちになりましたが、我慢して与えられたテーブルに席をとりました。『理性』はじっと私を観察しています。やがて『礼節』が私の名を訊きました。私は応えるしかありません。
「はい、私の名は『罪』。私は私の役割の意味を追求しながら今日、ここに辿り着きました」
 一瞬、食卓に氷のような冷気が漂ったのを私は見逃しませんでした。息を殺すような緊張です。私は自分の名を偽ればよかったと、心底感じました、しかし、もう、遅い…。
 しばらくの沈黙の後で話し始めたのは『礼節』でした。
「私たちはいつかあなたにお会いする時がくると思っていました。それが、今だったのですね。それも丁度よく、『理性』がここを訪問してくださった晩に」と、『礼節』は場を取りなすように私に温かいスープを注いでくれます。『理性』はそれでも細長く整った鼻を正面に座った私に突き出すようにして冷静にしております。私は決して震えまいとして身を固めていましたが、『理性』と視線を合わせるのが苦痛でたまりません。
「さあ、スープを」と『礼節』が上品な声で言います。私は厚かましくも空腹だったのでスプーンを手にしてスープをすすりました。『礼節』もそれを見てスープを口にします。しかし『理性』はスプーンを手にせず、両手を合わせ、こう言いました。
「ここに来たものの心を幸いとさせよ」
 私ははっとして顔を上げました。『理性』はスープ皿に一粒の涙を落としていたのです。そうして『理性』は私に言いました。
「あなたと私は"姉妹"のような関係です。あなたが産まれなかったら、私は存在しなかったでしょう。ですが、あなたはいつの時代にも咎められ、私の仕事の一部はそれを補うことでした。私はあなたに会ってはいけないと言われてきました。それなのに、今日、あなたがここにいらっしゃるとは…私は驚きを隠せません。が、私は『理性』です、どんなことがあっても、揺らいではいけないのが私の努めです。ですからこの私の態度を気にせず、晩餐をご一緒しましょう」
 私は混乱しました。ひとりぼっちだと思っていた私には姉妹がいた。それは私とは正反対に見えるような気高いものだった…。
「あなたは今、姉妹と言いました。では、あなたも"女"なのですか?」私はつまらない質問を『理性』にしておりました。『理性』は私に話し始めます。
「さあ、私は姉妹と言いましたが、私は"性"を持っているかどうか考えたこともないのです。ただ、私が私の司る仕事を長く行ってきた範囲において、"兄弟"と名乗る『正義』もいますよ。ですが、あなたはお見受けしたところ、ほんの一匙分くらい、私『理性』に寄り添ってくれそうです。ですから私は"姉妹"という言葉をあなたに使いました。そしてそれが私がここ『礼節』の家を度々訪問する理由でもあります。あなたはさっき、ご自身の由来を知りたいとおっしゃっていましたね。私とて、同じです。私が何のために私の存在を与えられたか、そして何のためにその仕事をするのか…可笑しなもので、それはあたかも芝居のようです。誰かがシナリオを書いたのです。それは終わりなきシナリオとされ、人間に考える術を絶やさぬように仕組まれた道のりなのでしょう。ああ、私たちの名は、人間のために作られたのです。名は言葉であり、それは信仰と呼ばれるものの中で生き続けるようです。信仰とは、そもそも幾つものカテゴリーを要する可能性を秘めていたのですが、いつしか、それが差別への道にさえなろうとしています。私たちはそれらどの信仰にも存在するものとして多忙な日々を送っています。人間はただそれぞれが信じる道を歩めばよいですが、我々はあらゆる信仰の中に生き、常に目を行き届かせていなければなりません。それがルールのようになってから、どれだけの時間が過ぎたでしょう? そうして、あなたはもう、お気づきかもしれませんが、それは少し変だと思いませんか? 私たちに役割を与え、それをコントロールしているものが何者なのか、私たちは理解しているようでいて、理解していないのです。人間は、それを例えば"神"と名付けてきました。では、私たちは一体、その"神"にどこで出逢いましたか? 私たちはその存在を漠然と想像することはできます。"神"は、道に転がる石であるかもしれませんし、このスープの中にいるかもしれません。ええ、あなた同様、私もあの命令が送られる度に出かけて行き、仕事をします。このシステムが何故継続し、それがあたかも地上の暮らしであるように何世紀も何世紀も納得されてきたことは脅威です。この解決のない世界を、果たして、"神"という存在が作ったのでしょうか? 私は『理性』なので、仕事をしながら思索せずにいられません。ああ、あなたは私の話のために、温かいスープを逃してしまいそうですね。すいません。どうか、せっかくの『礼節』のお持てなしです、味わってください。私もいただきます。しかし、私の"姉妹"よ…あなたには『赦し』という、もうひとりの"姉妹"があることを忘れないでください」。


 その夜、私は眠れませんでした。『礼節』は清潔なベッドを私に与えてくれたが、これは私の眠る場所ではないと、私はさめざめと一晩泣き通しました。


 翌朝早く、私は『礼節』の家をこっそり抜け出しました。道を歩けば、昨夜遅くに降った雨が、水たまりを作っています。
 私はそっと、自分の姿をその水たまりの中に覗いてみました。
 ああ、それは"女"の姿にしては、あまりにも厳しい表情をしているではないか…私は昨夜会った『理性』の顔を思い浮かべました。
 そうして思ったのは、"彼女"は"私"によく似ているではないか、ということでした。


 では、『赦し』とは、どのような表情をしているのでしょう?
 私はそれを確かめるために、まだまだ歩かなくてはなりません。




 "罪によせて" by 桜井李早/Risa Sakurai©







 pic: "Die Sünde" by Franz von Stuck