'Jouis du jour / 今を生きる'



 昨年暮れから帰国しているが、その頃作った曲にさっと手を加え、ピアノを弾きながら"lalala..."でメロディーを歌った録音ファイルをフランスに向けて"ポン!"と送った1月9日の夜。
 この日はColinのお誕生日であった。


 私は彼に「私はあなたの国を想いながらこの曲を書いたのよ」と話した。
 彼は私に「それはスコットランド? それともフランス?」と訊いたので、私は「スコットランドよ、勿論」と応えた。彼はスコットランド生まれである。
 そして彼は私の曲を聴きながら、「ああ...そうだ、これは僕が学校や軍隊で歌った歌に似ている...'patriotic'な...」と言った。
 だから私は「スコットランドの曲は古くから日本でとても愛されているって言ったでしょう。きっと日本人にはそれが解るの」。
 ...そう、彼はスコットランドで大学に進む前の一時期を軍隊で過ごした経験があるのだが、これはスコットランドという国の方針のひとつであり、彼はそこにいた頃の事を以前、厳しい目をしながら、それでも表情には笑みを浮かべながら、ただ、このように言った事があった。
「あそこでは<全て>の人間が叫んでいるんだよ、Risa、本当に、全ての人間がね!」
「あなたも訓練で匍匐前進したり銃を握ったの? 」
 私はほっそりした彼が軍服姿で敬礼している姿を思い浮かべながら訊ねた...あたかもそれは"Monty Python"に観るJohn CleeseかElic Idleに似たものであったかもしれない。
 だがそれに応えた彼の、「Yes...」...という低い声に、生々しい西洋の気質と、軍という物が普通に存在している事への彼の静かな苛立ち、もしくは'anti-nationalism'(それは私自身がそれを心の中に孕んでいるせいかもしれないが...)を私は一瞬垣間みたものである...。
 しかしながら、その日、彼が言った'patriotic'という言葉に、単に私は彼自身の裡に存在する懐かしさを表しているのだと感じた。
 始まりの旋律が浮かんだ時...それはとてもシンプルなもので、まして久しく離れていた日本の年の瀬の或る夕刻であったがゆえに私が若干センチメンタルになっていた事も理由かもしれないが...確かに私には、'patriotic'に近い感覚があったかもしれない。それは昨年日本で起った問題が当然重い引き金ではあるが、フランスにあった私は、しばしば自分が非情な人間であるように感じたものである。
 私はColinに時々その気持ちを語った。何故なら、彼は私がコンピューターを開きながら涙を流していることに気づくと必ず質問したから...。
「日本で何かあった?」
 私はその時々に目にした日本の震災後のニュースや友人知人の数々の言葉を読みながら、よく、涙を流した。時に、いたたまれなかったのである。私は読んだ記事について彼に話す、それは7~8時間の時差を持った国から伝わる瞬間の声なのである。こちらが午後の時、日本は夜...人々の一日の終わりの声が聞こえてくる...南仏の太陽を眺めながら、日本の月を想う、ブレる事無く、人生を等しく、自分として在るために...いいえ、私は車寅子さ、渡世人と思えばよくやっていくことも心苦しくなく...それは"男はつらいよ"で十分じゃぁないか、あんた、女だろう、Risa...馬鹿いっちゃぁいけねぇ...シェイクスピアも言ってるじゃない、"人生はアラベスク/Arabesque模様のタペストリーだ"って、私は間違いの喜劇が大好きよ!...だったらてめえのいいようにやるさ...そうだ、街に立とう!...as you like it...ここのカフェのマダムの足には青い筋が見える、いづれ私にもそれが浮かぶ時がくるだろう、祖母の白い手足にあったような...そして...
 ...私とは、何だろう? 私に何が可能だろう?
 そのような言葉をぽつりと彼に吐いたなら、彼はこう、私に言うのだった。
「君は幸運を持って産まれた。そう考えろ、Risa。君は生きる、こうして今、生きている。それを喜ぶんだよ。そうしてね、Risa、地獄なんて無いんだ。今、僕たちが生きている場所こそ楽園なんだ。ただ、この世界に<罪>があるだけなんだ」
 彼は私が立ちすくんでいる時、つまり地獄について考えているような時、必ず先のように言う。彼は決して楽観主義者ではないが、そして私もそうではないつもりであるが、"困っている"現状を打破するために必要な事は、やはり、希望であり、信じるという佳い心意気しか、無いのである。
 私は馬鹿者だが、考える...それらのエネルギーが流れ出し、集まり出し、等しく紡ぎ出され、"曼荼羅/Mandala"となって宇宙に飛び立っていく...声として"Mantra"のごとく、精神が紡がれる..."Arabesque"...個人のひとつひとつのアチテュード/attitudeがコラージュされた時、新生のCosmosが...それは光のごとく素早く、産声のように激しく泣くだろうが...赤ちゃんのそれはやがて育ってこう、叫ぶ...
「全てはここにある、産まれたなら、共にあろう」


 私はColinに私の曲へ歌詞を書いてくれるよう、依頼した。それは届けられた。


 そして去る1月8日は父のお誕生日であった。幼年時代、『のらくろ/Norakuro( it is an old Japanese animation character...like "Tramp" )』を愛した彼は今年、81歳になったが、今でもお酒と少しのシガレットを嗜み、日々、日記を綴り、車を運転し、時々講演など行っている。
 父と同じ1月8日生まれの人にはElvis PresleyDavid Bowieがあげられるのが、これは密かな私の喜び...なのである。
 で、その父はおよそ1年前の或る日、彼の日記の中で私について、このように綴ったのだと話してくれた...


  "娘がどうやら、漸く、彼女自身のための第二の人生を歩み始めたようだ"


 私はこの父の言葉にただ微笑んだにすぎない。
 何故なら、日記というものに応える必要は、無いからである。




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  ...メゾン裏の丘のから観る南仏の光景...




 Peace & Love




 Risa :*)