7月7日、南仏にて



 休日に入ったこの週末、南へ向かうハイウェイは渋滞しているらしい。
 夕刻、乞食仲間の寄り合いにちょいと顔を出した後の、スーパーマーケットでの買い出し。空腹のせいか、お惣菜売り場であれこれ目移り。色々ある中から選んだうちのひとつのチーズはピリッとする左下。充実しそうなハムも2種類。ひとつは匂いの方も充実している。
 そして…
「これは豚足だよ…」とColinに言われたものの、カツレツをイメージしてどうしても貰いにしたかった写真3……。
 食してみれば…ああ…骨の周りに寄り添うのはただ豪勢な脂身のみ…どこを切っても現れるのは脂肪なのだ。肉食の私を誇っていたつもりだが残念ながら閉口という始末。
「だから言っただろう。誰がそれを食べるだろうね?…」と、Colinは笑いながら自分のプレートのコルドン・ブルーを食べている。
 しかしだな、ついでに手に入れたアーティチョークのマリネの方は決して悪くなかった。そのサッパリした舌心地は日本人好みの食感だからである。

 今日は朝から30度を越えている。
 日向をわざわざ歩かずとも勝手に日に焼けている今日この頃。
 我が筵も乾くというもの。

 詩を書こう、心のおもむくままに。
 さすれば、この暑い最中、幾らか涼しい涙でも流すきっかけあたり、作れるかもしれない。
 それにしてもここから眺めることができる緩やかな線を描きながらつづいていく山際の姿は日本の景色に似ている。そして道を歩いていてひょっこり出会うイチジクの樹など見ると、祖母の姿を思い出す。ここのイチジクの実は今はまだ熟していないが、遠い昔、家の庭に生えていたイチジクの実を、祖母と一緒に食べた昼下がり。その実は不老長寿をもたらし、一日に一つずつ実を成すのでイチジク(一熟)と呼ばれるようになったと言われているが、できることならイチジクの如く、日にひとつ、実と呼べるものを生み出したいものである。植物の生き方は一途で正直だ。
 だが人には、自分の心の中に棲まわせている存在をどこへでも持ち歩けるという特色がある。ゆえに領分というものに捕われず過ごすことができ、その存在とは、紋章のようなものかもしれない。

 
 Risa :*)