フランスにて / オランジュとその後



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Théâtre antique




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Colin




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Risa






 10月29日、小春日和と言える麗しい天気、午後、ニヨンのカフェで1時間程過ごした後、コリンと私は車でオランジュに出かけた。
 小さな街を3つほど通り抜けることおよそ3~40分だろうか? 左右に広がる葡萄畑、道路沿いには誇らしい様子のワイン工場を幾つも目にする。絵画や映画に見る細長い木立の中を車は走り抜ける。日差しは申し分なく、窓を開けていても少しも寒くはない。


 ひとつの街にさしかかって、運転するコリンが言った。
「あ...アンティーク・ショップ」
 見ればひっそりした佇まいのお店である。彼は興味があるらしく、私も覗いてみたかった。が、車はとにかくオランジュに向かう、時間があれば帰りに寄ってみればいい。
 実にこの日の午後は季節がいつなのか解らないような陽気だったかもしれない。春のようであり、秋のようであり、また見えている光の印象は夏の終わりのようなまったりしたものだった。
 変形の辻に差し掛かった頃、急に車が増え始めた。
 プジョーはやがて凱旋門をくぐりオランジュの街の中に入る。すぐにそれと見て取ることができる古代劇場を目の当たりにした。近くにあるホテル前の駐車場に車を停め、私たちは歩き出した。ホテル脇のカフェでアラブ人らしい男性がこちらを見ていた。すれ違いざまにひとりの年老いた女性がコリンに何やら話しかけてきた。彼女はあなたはとてもハンサムだ、と話しかけたと彼は微笑んだが、はて、それだけだったのだろうか? 私には解らない、ここにいる二人はスコットランド人と日本人である。


 さて古代劇場を見学、世界遺産である、観光気分である。35メートルの高さ、9000席、いやもっと、とも言われるこの2000年前のローマ時代の遺跡は、特に珍重されているというような大げさなそぶりもなく、当然のようにただ聳えている。日本的に考えると、鎌倉に行けば鶴岡八幡宮があるように存在している。コリンがここを訪れるのは初めてで、私たちはちょっとした『ローマの休日』を味わっている感覚だった。


 この古代劇場ではピンク・フロイドU2コステロなどもコンサートを行ったことがあるが、19世紀以来、舞踏、演劇、オペラが数々公演され、その映像なども中で鑑賞する事が出来る。
 では、どんなところでそれらを観ることができるのかといえば、客席後部(最高部)に半円形の通路があり、その通路脇に穴蔵(cave)とも言える個室が設えてあり、その中でそれぞれの映像が常に公開されているのだ。
 私たちは或る部屋で素敵な舞踏を鑑賞した...言葉無くしてそこで表現されている物語は非常に幻想的かつユーモラスで奇妙、人間の肉体の動きのしなやかさ、そのアティチュードに見とれていた。空気の精のように演じられるふわりとした人間の動作には、コリン自身が彼の絵の中で時々描く道化のような人物像が伺えたのだが、彼もたぶん、同じような感覚でそれを観ていたのだろう...見終わった後、二人でニッコリ笑い合った。
 また別のcaveでは部分的ではあったがオペラの映像を観た...あ、ベルディね...これはヴァーグナー......と、私はコリンにひそひそ話しかけながら観ていたのだが、私が音楽大学で声楽を専門としていたことを知る彼はそんな私を十分に受け止めながら彼自身、私の横で自然な西洋的習慣を思わせる物腰で鑑賞していた。


 そう、私は劇場内で思わず発声的な声を出してみたのだ。どうしても出さないではいられなくなり、他に見学している人たちがいるのもおかまいなく、私は自分の声を発した。
 それは素晴らしい音響で、声は空へ舞い上がった。どんなホールとも違う、この地球の空気...高いところの気流と交じり合う声...私は今、四角い箱の中に収められてなどいない...outsideであるここが、いい。
 ...そして私はoutsiderよ、いいえ、それはここが野外劇場だからそのように感じるのではないわ...私は屋内では考え、屋外では発する、そういう少女だった...パーン! と現れてワクワクする感覚もまたたまらなく好き、ポーズも大好きよ、出来るわ、それは私のアティチュード...そしてそのアティチュードとは、私の快感なの...そういうことを、私にさせて...!
 声は空中でヒューッと回転し、天上に吸い込まれて行った。
 それは曲芸のようであり、曲芸は大道を、空の下を好み、場所を選ばず、未知を求める。これが自由というもので、その自由とおぼしき感覚を喜んでいる時、人の脳は瞬時に多くのことを考えている。それは光の速度にも似た速さ...まさに、瞬間という短い時間の中で、人間の喜びの感情と覚醒の思考がどれだけ素早く動く事が出来るか...宇宙速度に同じくする人の脳内の意識スピード...oddity...ここに、それが在る今...なの...かしら...?


 ふと振り返ると、逆行を浴びたコリンが父親のような優しい表情で私を眺めていた。
 それはあたかも、私の自発を引き出し、確信するようなまなざしだった。


 見学の後、キッシュを齧りながら街を歩いた。キッシュはとても美味しくて、2.5ユーロほどか...私はとにかくキッシュが大好きなのだ。
 駐車場に戻ると、あのアラブ人が私たちに声をかけてきた。彼はコリンの車のナンバーを見ながら、
「北から来たのか?」と、話しかけた。
「そう、フォンテーヌブローから...」とコリンは微笑みながら応えていた。


 オランジュを後にしたのは17時過ぎだった。その日のその時刻はまだ陽は落ちていないが、ニヨンを通り越してからのクロスロードを思うと暗くなる前にメゾンに戻りたいと思っていた...before sunset....
 しかし小さな街を通り過ぎるごとに太陽は傾いていく。窓の外の風景を眺めながら、私は黙って未だに消えない小箱の中の記憶を思い起こしていた...それは私が小さな少女だった日々、西日を浴びながら自分の部屋で読んだ数々の外国の物語の中に想像した光景...ああ、あれらは本当だった...今日にそれらは繋がっていた...私の空想の景色は私を導いた...何て美しく、物悲しい夕べなの?...私は小娘のように泣きじゃくりたい気持ちだった。
 するとコリンが言った。
「リサ、ありがとう。僕は君のおかげでオランジュでの楽しい時間を過ごすことが出来た」
 彼の声と横顔は落ち着いていてアダルトだった。そういえば彼は以前私に、「君は時々僕を少年のようだと言うけれど、僕はアダルトだ」...確かにそう、かもしれなくてね、コリン...ええ、あなたは時にアダルトどころか、あたかも老教授のような面持ちで語っている時があるもの。


 夕日が落ちる間近、車はスーパーの駐車場に一時停められた。急いで夕食の買い物をし、もはや待つことをしない夕刻ではあったが、プジョーは安全運転だ。
 家に着いた頃はすっかり日が落ちていた。
 食卓はステーキとサラダとワイン。
 ハロウィーン間近の晩餐である。




 そのハロウィーンを過ぎるとヨーロッパの夜は突然長くなる。つい先日まで17時に暮れなかった空は、いきなり足早になり、神懸かり的に昼間という時間をむさぼりはじめる冬の力...私はこの変貌を身を以て知った。あの小春日和のオランジュでの一日は、季節が冬へ突入するための最後のあまやかなプレゼントだったのだろう。
 オランジュを訪れた数日後、コリンと私はあのアンティーク・ショップを覗いてみたが、その日は冷たい雨の午後だった。
 店内には大物小物、高価な物から安価な物まで揃っていて、年配の女性オーナーは私たちに少しもまとわりつかず、腰掛けていた。私の欲をそそるような家具や皿があちこちに在り、それらを眺めていると時間が止まりそうだった...店内の空気は止まって休んでいるごとき、そして、客は我々だけである。
「マダム、これはいくらですか?」と、コリンがマダムに訊いたのは、大きな東洋の扇である。勿論彼はそれを買いはしなかったが、私の目線が西洋の眠るような骨董にある反面、彼の裡にある色はエキセントリックな光なのだ。スコットランド生まれの彼は、蒼い目で、おびただしい光と色を求めてきたのだろう、私はそれを感じていた。
 のんびり覗いていたこともあり、私たちはマフラーを買ってそのお店を出た。コリンは私にチェックのマフラーを選び、自分では黒いマフラーを買った。
 そうして長い夜に突入する。家に戻れば帳を閉める。風がそれをノックする。その強い風の吹く或る晩、
「私は強くなりたい」とコリンに言った。すると彼は、
「君は強い女性だ、こうしてフランスに来た」と、もの静かに応えた。
 そして彼は私をスケッチし始めた。青い絵の具で輪郭が描かれ、その後クレヨンを使ってザクザク塗っていく...覗き込んでみた私は、
「彼女は誰? 彼女は笑っていない」そう言ったら彼は、
「いいや、僕には笑っているように見える」
 絵筆を握っている時のコリンの手は美しい、私はワインを飲みながら彼の手を見つめていた。彼の描く絵は抽象的であるにもかかわらず、その動きはノーブルだ。


 その後、私たちはフォンテーヌブローに一週間程所用で戻っていた。南に負けず北は寒く、私は風邪をひいたのだが、不思議なことにそれは悪化せず、すぐに元気になった。この寒い気候、私の健康を促進させるのだろうか...まだ解らない。


 11月11日の真夜中、フォンテーヌブローを後にして再び南仏へ。ハイウェイを走りながら見上げた空にはオリオン座。それは東京で見るよりはるかに近く、手に取って、その凍てつくような冷たい銀色の塊に齧りつくことも可能であるようだった。"星を食べる人々"...それを理想とする真夜中のドライヴである。が、南に出来るだけ早く辿り着きたい...before sunrise...
 そして徐々に明けていく東南方向の空である。ハイウェイを降り、その間に眺めつづける事が出来た山々の風景の麗しさ...薔薇色の雲とミスト、そして青く広がっていく空...私は何か、トンネルを越えた心持ちだった。北からここに来るまでおよそ8時間のドライヴである。夜更けのサーヴィスエリアで珈琲を飲みながら眠らない夜を走り抜けた後のそれは確かな朝で、非常な疲れを思い知らせはしたが、あまりにも爽やかで幻想的な景色に包まれた二度と無い朝である。
 早朝の小さな村で、そんな時刻にすでに開いているお店で、コリンは暖炉の薪を早急に燃やすチップを買うために車を停めた。私は空気を吸うために車から降りて目の前にある美しい田舎家の門の前に立ち、深呼吸して彼を待った。


 その後の日々、私たちは24時を過ぎるまでプティ録音と言えるものをしていた。幸い、近隣の家から苦情も無いが、毎日がクタクタになって終わった。或る夜には、深夜にもかかわらず、コリンのリクエストは「より高い声を」であった。彼は「僕はオランジュの古代劇場での君の声を知っている...」と言いながら求めた。若干押さえ気味にはしたものの、私のドラマティック・ソプラノは石造りの家の中で反響し、コリンは結果、「美しい」と言って微笑んだ...素直に、心から嬉しい。それらの作業はまだ私とコリンの"本気の録り"とは言い難いのであるが、彼は私が共に奏で、歌うことが必要だと考えてくれている。彼が実感してくれた私の声とアティチュードへの「美しい」という言葉...それは彼にとって、また私にとっても新鮮で大切な事実だ。
 また、サブリナは、「リサ、あなたの声に私は教会で歌われる歌を感じた」と言ってくれた。彼女とは私がとても好きなフランス人のピアニストであるエレーヌ・グリモーの話をした。グリモーはエクス・アン・プロヴァンスに生まれたのだが、私は是非そのエクスを訪れたいのだ。
 そしてミロスの大きな頑丈な手が奏でるアコーディオンの音色...彼のその音を初めて聴いたのはフォンテーヌブローに到着してすぐの午前中のことだった。ガウン姿で楽器を弾く彼であった。朝、顔を合わせると「フランスではこうするんだよ」、と言って両頬にキスをする。
 フランスは私に色々なことをさせてくれた。
 しかも日々、私はとても、守られていた。


 11月末に私は帰国したが、12月に入ったフォンテーヌブローには雪が降った。
「世界は温暖化と言うが、ここフランスに限って、今年の冬はとても寒い」
 コリンはそのような言葉と共にフォンテーヌの家の近くの雪景色の写真を私に送ってくれた。


 私は3月に再び渡仏する。季節はその頃から、festival seasonに向かう。
 新春のパリでの或るイヴェントへの出演を断念しなければならない私であるが、"St Patrick's Day"を機に、望める事があるだろう。


 そう...私がこの地球に生まれたのは、3月。
 3月の雪の朝、病院の中にあったストーヴが突然火を噴き、燃え出したのだが、父は産まれてくる私を待ちながら、そのストーヴを雪の庭に放り投げ、やがて母の胎内で逆子だった私は、首に臍の緒をグルグル巻いた状態でこの世に出た。
 その瞬間、私の呼吸は無く、医師は急いで私の首を解放し、私を逆さにして背中を叩き、私は漸く息をした。



 
 私はだから、今、生きていることができるのだ。




 Peace & Love



 ..* Risa *¨