11月14日のライヴを終えて
11月14日の『桜井李早×桜井芳樹 with Painter Kuro - Live@吉祥寺MANDA-LA2』にお出でくださった皆様、どうもありがとうございました。以下にセットリストと思った事など綴っております。
1 五月のマリア (作詞: 桜井李早 作曲: 桜井李早)
2 ピカレスク (作詞: 桜井李早 作曲: 桜井李早)
3 秋は人さらいのシーズン/著書『YES』より朗読 (作: 桜井李早)
4 Dido's lament (詩: Nahum Tate 作曲: Henry Purcell)
5 My Lagan Love (アイリッシュ・トラッド/Kate Bushのヴァージョンで)
6 Hallelujah (作曲: Leonard Cohen 歌詞はJeff Buckleyのもので)
7 2014-野戦の月のテーマ (作詞: 桜井大造 作曲: 桜井芳樹)
8 ミネルヴァ (作詞: 桜井李早 作曲: 桜井李早)
私の声は今、とても歌いたがっているようで、この晩も心地よく歌いきる事ができました。セットリストにあるように、今回、私は、17世紀の英国の作曲家Henry Purcellの作品や、アイリッシュ・トラッド「My Lagan Love」などを取り上げて歌いましたが、この夜、初めて私のステージを観てくださった画家の浜田澄子さんから朗読についてお褒めをいただきながら、「世紀末美術のロセッティの絵の中の女性が秋の深い林の中を歩いているみたいなイメージ」という感想をいただいたりいたしました。私の曲「ミネルヴァ」についても印象的に受け止めてくださった浜田さんは、私の作る音楽や詩、そして朗読させていただいた自らの散文「秋は人さらいのシーズン」の中にもヨーロッパ的な印象を持ったとおっしゃってくださいました。
共演者のギタリスト、桜井芳樹はロンサムストリングスや中村まりさんと演奏する時にはアメリカのフォークロア、ブルーズ、ロック、etc…という演奏風景をお感じになられる方々も多いと存じますが、何故か、私におつきあいし、演奏してくれる時の氏の音は、それが必ず、桜井芳樹のギターの音でありながら、その音の表す景色が変わるような気がする私です。
…そう、私の声は今、歌いたがっている、私の<生>にはいつも音楽があった、それを追い払う事などできない、それは必要な事で、それは、年齢を重ねるうちに強くなっていく…
そんな気分で今回は「Hallelujah」のような曲もカヴァーしてみたのですが、実際、この曲はレナード・コーエンの詩を読む限りにおいて女性が歌うには相応しくなく、というのも、この歌詞はとても男性による性的な比喩でできていて、タイトルのイメージや曲の良さで歌うとしても最後で盛り上がるのは何とも考えものであり、そこではコーエンのニヒルを詩から離れた「賛歌」と切り替えない限り、気恥ずかしくもなるわけです。が、私は好きな曲なのであえて歌う事にいたしました(…案外なロック少女だった事を思えば、どんな歌でも自分の歌と考える事が都合がいいですね)。
朗読は、これは自分の作品を読むという意味で、誰かのお書きになったものを読むのと異なり、やや芝居っけがあったかもしれません。「声の抑揚があって良かった」という感想をいただきながらも、これは淡々と語った方が良かったのかもしれない、と振り返ってみたりもいたしました。しかし、私は朗読を愉しみました。それは、桜井氏のギターが私の綴った文章に、更に、深い陰影や、時の流れを意識するための<間>を示唆してくれるような豊かな感性で呼びかけてくれたからです。
Kuroさんのライヴペインティングもとても興味深く、50分もの間、勢力的に描かれました。
店内にご自身の作品を展示されたり、実際、私の歌うステージの上にも幾つもの作品を置いてくださいました。
そして今回の企画を立ててくださった長谷部道代さん、どうもありがとうございました。
写真は、夏 瞳さんが撮ってくださったものをいただきました。
私はこれからも、歌ってまいります。
それは私の変貌の愉しみでもあり、折々の自分を確かめるためにも、私の残る<生>において、必要な事だからです。
感謝をこめて
桜井李早