- V.モリソン『Astral Weeks』そしてJ.ジョイス『Ulysses/ユリシーズ』とわたし








 一昨日前、Van Morrison/"Astral Weeks"を聴いていて、これは改めて凄いアルバムと思った。"Them"解散後のソロアルバムだが(実際にはこの前もある)、このレコードは1968年発表、The Beatlesの"Magical…"と同じ頃だが、ミステリーツアーに連れていかれるどころではないなぁ、とゾクゾクしながら改めて鑑賞した。
 その晩は『The Last Waltz』も久しぶりに観たのだが、ここで歌う彼/北アイルランドベルファスト生まれのV・モリソンはやはり米国人より大人だったんだ...なんて思いながら…アメリカは若い国、ディランがこのコンサートで歌う"forever young"、それは素敵だ…が、モリソンの表現はというと(彼の歌い方/言葉の発音と言おうか…には時々でまるで役者のような変貌があるゆえ…遊び心でジャガー風に歌うこともあれば、トラッドを見事に民謡として表す妙が、それである)、あたかも<乗り込んだ人>という形容をしたくなるような闊達なやり口を感じるのだ。
 ベトナム戦争が終演となった1976年の頃を振り返りながらの晩であった。

 
 その一昨日前とは6月16日で、その晩、「今日はブルームズ・デイですね」という声をかけてくださった佳き隣人があった。
 "ブルームズ・デイ"とは、J.ジョイスの作品『ユリシーズ』の一日を言うのだが、そのような粋なことをおっしゃってくださる方があることに、救いを感じた、ありがとう。


 "わたしが何をしていようとも、他者にはどうということでもない"、くらいの気持ちで、J.ジョイスはあの大作『ユリシーズ』を書いたのではないだろうか、さもなくば、たった一日があれほど長いはずはない。
 V.モリソンの『Astral Weeks』も同様、あのとてつもなく濃く、果てしない、と感嘆するくらいに広がる歌の世界は、個人にしか解らない確実な時間の経過、<意識の流れ>あっての表現なのだと思う。


 個人にとっての人生の一日、週、一生とは、どの瞬間も、かけがえのない、世界であり宇宙、それが誰にも知られずとも、であろう。
 それはまさに、ここ数日いきなり暑くなったとたんに思い立って訪れる避暑地の休暇の如く。
 そうよ、隠された処に、真実はある。


 このようなカレーが食べたくなる陽気です。
 マトン入りほうれん草のカレーとダール豆のカレー、サラダにはほんのり甘いヨーグルトソース。
 顔が隠れてしまいそうなくらい大きなナンは焼きたて、香ばしく。









 桜井李早