we can work it out!

 12月28日、今年最後のロンサムストリングスのライヴを佳く見送るために、吉祥寺へ。
 その吉祥寺駅周辺は、いつもこの時期は何かと賑わっているはずなのだが、今年の暮れは例年より地味である。駅と隣接しているショッピングセンターが閉店するなどという話も聞いたが、日本中、どこもかしこも、不景気極まりないのだろう。
 うきうきしている場合ではない。

 が、ロンサムの演奏は素晴しかった!
 ゲストを迎えてのライヴとは異なる彼らだけの音楽の魅力は、この不景気にもかかわらず、10割増だったように思う。
 この晩は、年末ということもあり、今まで披露しなかった曲もあり、それらはおおいに楽しめた。
 まあ、Risaは帰りは運転なので、やはりライヴ中はイスラム教徒(=飲酒しないということよ)に徹していたわけだが、それでも気分は"midnight rider"だった!
 ロンサムを好きでいてくれて、時々ライヴに足を運んでくれる米国人のアダムは、こんなことを私に言った。
「もし私が宝くじを当てたら、彼らをすぐにアメリカに連れて行く。アメリカ人は、彼らの演奏を聴いて、びっくりすることだろう! 日本人が、こんなplayをするなんて!」
 そう、日本人離れしているわ、いよいよもって、彼らはどこに出て行っても不思議ではない演奏家たち・・・。
 来年も、素敵なお仕事、してね・・・待っています。

 午前0時過ぎ、吉祥寺を後にする。
 この晩も、深夜にお腹が空くわけである、で、ステーキ屋さんに入って、しっかり食べてから、帰宅。
 私はここで漸く、お風呂上がりにビールをニッコリいただくというわけ。



 さて翌29日。
 この日は朝からリンパ腺が痛む。少し微熱があり、右目の瞼がちょっと腫れている。
 前日、そんなに弾けていたわけでもないのに、可哀想なRisaの身体である。
 よって、家事こそはやるが、夜のシカラムータのライヴは欠席させていただかなくてはならなくなる。
 チェリーはシカラムータのライヴの後、打ち上げ、そして、吉祥寺の中華街で同じ様に呑んでいた親愛なる人たちとも合流し、忘年会な一夜だったようである。が・・・
 ・・・どうも、呑んだ後、電車に乗ると、家からどんどん離れた場所に行ってしまい、なかなか家に帰れない人、が、いるようで・・・そう、文字通り、"遠い家(ロンサムの楽曲のひとつのタイトルです)"・・・になってしまう奴がいる(笑)。
 八王子でよかったね、つい数日前は、どこだっけ? ・・・nnn・・・藤野まで行ってしまったのだったわね、
 チェリー、今朝はようこそ、ご無事に午前8時近くに帰宅さないました! 
 くれぐれも、今後は気をつけてくださいませ、最寄り駅のひとつ、ふたつ前で座ったら、それは天国行き列車・・・夢の中で銀河を走るその列車は、あなたを我が家から遠ざけます。



 昨日30日。
 身体の具合はやや塩梅よく、せっせと掃除、洗濯、換気扇カヴァーを新しくしたり、しかし普段の家事とそれほど変わりはない。
 しかし、それでも暮れなのだ・・・あっという間に夕刻になる。
 この晩のお夕食のメニューはチキン・ソテー、お肉屋さんが「さっきまで生きていた鶏ですよ」と、おっしゃる鶏である。
 ガーリック・スライスを散りばめたパンでバターとオリーヴオイルでこんがりと焼き上げ、マスタード、ヨーグルト、バルサミコ酢、ウスター少々、マヨネーズ少々という酸味のあるソースでいただく、美味。
 胸肉はふっくらとしていて、一枚があまりに大きいので、少しカットして、その分を冷凍保存し、後でグラタンかお鍋に利用するのである。
 この日まで生きていた鶏に、感謝を込めて・・・今日の糧となってくださり、ありがとう・・・。



 今日大晦日、31日。
 晴れてはいても、とても風の冷たい日。
 今、何時? ああ、17時を過ぎた頃ね・・・冷たいビール、呑んでも、いいかしら?
 今夜は先日長崎からお歳暮としていただいた"みろくや"というお店のチャンポンと皿うどんをいただくのであります。

 ところで、話題は高速道路料金の事へ飛ぶが、2010年の1月1日午前0時を過ぎた時に目的のインターに到着すると料金が1000円になるという、その特例は、いかがなものか? 何だか、国は国民を弄んでいるのではないかとさえ感じる。例えば、もうすぐインターに着くけれど、まだ0時にならない・・・という人は、ハイウェーの路肩などに停車して待つ考えを起こしたりするかもしれないわけで、そのようなことがあると、今度は警察が乗り出して、それらのドライヴァーを駐車違反で取り締まると言っているらしい。
 時間を値段で買うような真似である、が、それほど今は安いということが庶民には喜ばれている。
 その喜ぶ姿をこの国の管理者たちは、嘲笑っているのではないか?
 どうして、2009年12月31日から、という素直なサーヴィス=奉仕を、国民にしてあげられなのだろう?
 我々は、奴隷か?
 親切そうな微笑を浮かべて、人々があっちへウロウロ、こっちへウロウロする様子をのほほんと眺めているのでは、ないか?
 何となく、不愉快だ。
 私は将来、非国民と非難されても、この国を去るかもしれない。
 いや、そんな気分になるだけだが。

 機嫌を直そう、せっかくの大晦日である。
 もっと、希望的観測をしたい。
 観測と言えば、月蝕がまたあるとか・・・
 ・・・空は、いい・・・空は、素敵だわ・・・人間のちっぽけな意地や感情に関係なく、動いている・・・
 ただ、時として、僅かな塵をそ知らぬふりして地球に落としたりするわ・・・
 ・・・隕石・・・とか・・・
 ・・・"the woman who fell to earth"・・・とか・・・


 そして私はあと数時間後の21半を過ぎる頃、新宿へカウントダウンの演奏に向かうチェリーを駅まで送るのだ。
 その後は、私の好きな時刻・・・"Golden dawn"まで、ひとりだ。


 そう、今年も、今宵も、除夜の鐘の音をひとりで聴く。


 108つの煩悩の数を静かに数えるふりをしながら、初夢を想像するの。


 "面舵一杯"!な夢・・・航路・・・


 ところで、この"面舵一杯"というのは、船の舵を右にほぼ90度方向変換することを言い、逆に左にほぼ90度舵をとることを、"取り舵一杯"と言うが、タイタニックが沈没した時代は、この"面舵"と"取り舵"は、逆の意味だったようである。つまり、"面舵一杯!"で、左に旋回したということ。
 その後、それは入れ替わり、現代の意味に至っているようだが、この"面舵"とは、"卯"の方角のことで、日本では、"卯の舵一杯"がなまって、"面舵"となったという言われもあるらしい。そういうわけで、"取り舵"は、"酉"の方角、で、"酉舵"の変化なのかしら?


 高速道路でふと想い出したのは、あれは確か、1992年の3月だったかしら?
 その一年度は、私はとてもよく働いた一年だったので、3月末の数日をチェリーと一緒に軽井沢でのんびり過ごしていた。
 そうして、東京へ戻る日、上信越自動車道の軽井沢インターが開通する日だった。
 私たちはその開通を待つように、午後の数時間をお蕎麦を食べたり、ジャムを買ったりしてつぶし、新しい軽井沢インターへ向かった。
 向かったら、もう、そこには2台の車が時を待っていた。
 路肩に車を止め、私たちは開通を待つ事数十分。
 時間が来た、いっせいにハンドルを右に切り、インターへと動き出した。
 私たちは3番目に軽井沢インターを通過した。
 "3"は、"卯"の刻の方角。
 "卯年"・・・は、私/Risaである。


 が、来年は、"寅年"。
 チェリーは年男。
 私は、再来年、つまり2011年を、"fix"とでも、考えようか。


 try to see it my way...


 それを描きたいの、私は。


 we can work it out!



 ..* Risa *¨