フランスにて / パリでショーン・レノン



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Corilsani




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Colin & Risa






 10月6日、パリ、夕刻になろうというリヨン駅。上野駅を思い出す。日本人の姿も見る。
 この日、コリンと私はパリでショーン・レノンのライヴを観ることにしていた。リヨン駅で買ったハムとチーズのサンドウィッチを齧りながら地下鉄に乗り、乗り換えること2度、リヨン駅の北に位置した場所で今夜のライヴは行われる。会場は20時、まだまだ時間があるが、チケットを買うために少し早めに到着しようとしていた。
 お店の前に着けば、もう数人の若い子たちが入り口前に座り込んでいた。私たちは近くのカフェでビールを飲んだ。久しぶりにキューッといただくビールはとても美味しく、このビール、因にベルギーのビール。小雨まじりのパリである。
 この界隈はどこか東京の南青山に似た街並みで、私はここがパリだという感覚があまりなかった。東京を歩いている時とほぼ同じ感覚なのだ、地下鉄に乗っていても同様で、違うのは切符の買い方と全てがフランス語だということだけである。
 19時頃だろうか、再びお店の前に行き、様子を見ていたら、コリンに話しかけてきた男性がいた。彼はカレーからショーン・レノンを見るために来たという。何やら立ち話になり、私たちはお店に隣接したカフェに腰を下ろし、またビールを飲んだ。小さな道ばたのテーブルを囲んで、フランス語と英語が飛び交う。通訳はいつもコリンである。
 やがてお店の前には人がたくさん集まり始め、会場となった。この店舗の外観はどこかエキゾティックで、"空豆"や"月見る"を連想していたが、中に入ればそれは西洋式で、おおよそ名古屋クアトロくらいのスペースだろうか? 本番までは会場からまたかなり時間がかかり、お客はまず、飲みながら歓談である。店内は禁煙、だが、喫煙スペースが道路側に設けてあって、そこは人で溢れている。ライヴ・スペースの奥にはガラス張りになった部屋があり、ここには椅子やテーブル、ソファーがあり、のんびり座れるようになっていて、私たちはそこで始まりを待っていた。美味しそうなのでピザも食べた。で、勿論、ビールも飲んだ、お代わりして。
 21時になる頃、漸くスタートしたが、前座と呼ぶべきか否か、そのようなアーティストの演奏がふたつあり、かなりじらされる。
 22時になり、シヨーン・レノンとシャルロット・ケンプが漸く登場した。私の立ち位置からはショーンの姿はほとんど見えないのだが、シャルロットの顔は見えた。とてもキュートです、はい。
 私がライヴを観ながらビールを飲むのは何ヶ月ぶりだろうか? おそらくそれは昨年から数えるべきことだ。まぁ、そんなことはどうでもいいが、私はお代わりのビールとライヴハウスという気分にご機嫌だった。演奏はサラリとキュートに行われ、ショーン・レノンはなかなか努力の人であると感じた。ギターの音がとても良かった。十分ビッグ・ネームであることが可能にもかかわらず、案外裏街道的な試みをするのも興味深い。洗練されたゲリラである。
 彼らは次にロンドンに向かう予定らしい。
 そう、ショーンの描いたとおぼしき絵がプリントされているTシャツを購入。そういえば、私も売り子さんを日本でしていることもあるな、と、思い出す。
 そしてパリに見る女性たちは美人が多い。
 ところでフランスは歩き煙草が許されているようで、そこいら中で歩き煙草の人を見るが、女性(30代以降が特に)目立つ、老女においても、で、ある。


 帰りはリヨン駅から深夜のバスに乗った。電車は終わってしまったのだ。24時を過ぎていた。
 バス停でバスを待てば、黒人がたくさんいる、それからパキスタンバングラデシュ人が数名、白人種も数名。で、バスが到着し、次々に乗り込んでいくのだが、私たちが乗ろうとしていたら目の前で黒人同士の喧嘩が始まった。一瞬のことで、いきなり殴り合いである。自分が殴られる必要はないと解っていても刃物が出て来たら物騒だと思っていると、コリンが私の手を引いて脇に避けた。同じ黒人たちが数名喧嘩を止めに入ったが、その中には女性もいた。喧嘩が道ばたへ移動したので私たちはバスに乗ったが、すぐに警察が来て悶着を解決していたようだ。
 私はバスの中でうとうとしていた。


 帰宅して、数種類のチーズとオニオンを挟んだサンドウィッチを食べて、まだ2日分飲まなければならないお薬を飲んで眠った。
 このお薬、飲むと眠くなるのである。


 結局、エッフェルに上るでもなく、モンマルトルを歩くこともなくフォンテーヌブローに戻って来たわけだが、パリ見物を特にしなかったことが惜しいとも思われない。きっと、パリにいたら、それらが毎日見えることに感じ入るのだろうが、私はパリにいない。
 これは東京にいて、いつも東京の名所を身近に感じていなくても平気で西の東京で暮らしていられることと同じで、私はどうやら、どこにいても自分のスタイルが変わらない人間とみえる。


 私は私の事を、やはり、少し変わった人間なのかもしれないと感じるようにはなった。 
 地味に暮らそうが何をしようが、素朴にだけはなれないらしい。
 だからといって、自我が強いわけでもなく、どちらかというとフワフワしながら人生ここまで来たが、何だろう、何に対してかはともかく、少なくとも負けたくはない、と思うことが多くなった。
 私は、物事を放置するようになっていたかもしれない、いや、それは少女の頃からか?
 こんな簡単なことはないが、後でその放置したもののために時間を平気でかける。
 洗練されたゲリラのようになろうと思ったなら、時間が必要だ。
 贅沢とは、私にとって、ただ、「時」である。


 時計をあまり見ない生活というのも、いいものである。


 何故なら、私はこの国に来てから太陽の角度でおおまかな時刻を感じているのだから。





 
 Peace & Love