2013年、12月13日の吉祥寺



  









 12月13日、この日は"栗コーダー・カルテット"でもお馴染みの川口義之氏の50歳記念3デイズの最終日。吉祥寺マンダラ2へ向かう。この日の出演者は、川口義之、中尾勘二、桜井芳樹、関島岳郎、坂本弘通…(敬称略)…というメンバー。それぞれのミュージシャンたちの経歴をご紹介したらキリがないが、"栗Q"、"ロンサムストリングス"、"パスカルズ"、"NRQ"、"ストラーダ"、"コンポステラ"、"シカラムータ"…etc…etc…という熟練かつ柔軟性があり、想像力豊かであり、ジャンルにくくりつけることなど到底できない音楽世界を持つ魅力溢れる音楽家たちである。
 主役の川口君とは、もう、かれこれ30年近いおつきあいになる。思えば学生時代からの無邪気な数々の思い出を共にした友人のひとりでもある。
 そうして、その頃から始まった人々の輪が、音楽を通して広がっていった私の思い出もある。


 この晩は、故、篠田 昌已氏がかつて立ち上げた"コンポステラ"の楽曲も聴けた。思い出す事があまりにあり、そうして、篠田氏が亡くなったのも12月であり、それは1992年の12月9日だった事を憶えている。私と桜井芳樹氏、川口義之氏は3人で篠田氏のお通夜に、駆けつけた。
 あの頃は、日本のバブルが崩壊し始める頃で、"JAGATARA"の江戸アケミさんやナベさんも亡くなった頃…当時、彼らは今の私たちより若かった…。
 私は以前にも書いたが、あのバブルの時代が嫌いだ。あの時代のために、仕事ができたり、何かを表すにも今とは大違いに軽々と行動できたり、人間関係が広がったり、情報が膨れ上がったり(これは今日のネット文化とは異なる膨れ方である)、足元を見るような事をする必要なく大手がお金をバラまいてくれたりの環境こそあったが、しかし、お気楽で、無責任でもあり、眉唾な部分があった事を感じて日々を過ごした私である。消費の国、日本。稼いだ金を使って快楽を得る。豊かな日本。海外のものをごっそり買ってしまう企業、或は個人。
 どこか、おかしく、コントロールされていると、社会の片隅にありながら、不審ばかり抱いていた私であった。
 恐らく、バブル期に思春期を迎えた人と、私や、私たちより少し年上の世代は考え方が異なるかもしれない。80年代半ばから90年代、例えば、学歴を積んで、お金の匂いのする方向へ向かい、できれば海外にでも出てみれば、日本では勝ち組となると予測した"七色の泡"が立ちこめていたかもしれない。実る恋のドラマ。
 それに比べると、70年代が思春期だった日本人の抱いた、"それは、まだ遠い"…という願いと、闇雲に何かを産み出そうとする場合によっては時を無駄にするような生き方をする気力への努力という<道草>の根性は異なるかもしれない。70年代というのは、案外<野暮>な時代でね…薄暗く、例え日本中が賑わっているように見えても、まだまだ"行灯の下"に似た暗さがあった。私の前後の世代は、その"行灯的"な日本の匂いを嗅ぎながら生きた、最後の世代かもしれない。それはやはり、<夜明け前>の日本であり...
 しかしまた、団塊の世代とも、私の世代は違う。

 
 古くからの友人たちの奏でる<今>の音楽を聴きながら、私はそんな事を思ったりもした晩だった。


 そうして、このコンサートでのアンコールにて、「20世紀騎手/作曲: 桜井芳樹」を聴く事ができたのは嬉しかった。
 およそ20年前に、この曲のタイトルをつけたのは、何を隠そう、私なのである。
 ご存知のとおり、「20世紀騎手」とは、太宰治の小説のタイトルからいただいたのだが、この楽曲は、太宰の破れかぶれに似た、乱暴な祈りと救いへの道、そして、そんな精神の狭間にありながらも、清い姿勢をとろうとしながら創作を試みつづける事で自らを調節しようとした、この作家の<本気>を見るような力強い音楽である。

 
 あの頃、確かに私たちは、若かった。
 しかし、ブレてはいなかった。

 
 まことに素晴らしいと感じたのは、奏でられたものによっては、もはや20年を越える楽曲たちの響きが、13日に集ったメンバーたちによって、この21世紀において、より、明るい響きとなって発せられているという事である。

 開けている、という今日が在ると、言っておこう。
 このような、言わざるを得ないような、日本の現実があろうとも、個人のある人たちにとっては、どのような時代に在っても、自己を生きる事ができるという証である。


 終演後、後の十年が経っても、こうして音楽をやりつづけたい、という人々の希望の声たちで乾杯。
 川口君、メンバーの皆さん、3日間、おつかれさまでした。
 本当に、佳い晩だった。


 そういう私は今日はお日和もよく、ゆっくり目覚めた割には、暮れだからな、と言いながら家の中の用事をしたり。
 先程お風呂をいただき、体重計に乗ってみれば、あれ…ま…最低限キープしてきたはずの36キロを切っている。


 いずれ死ぬか消えるかするかもしれないが、まあ、よろしく、私の人生よ。


 
 写真は終演後の打ち上げ前、ふざけ合っている、Kisono/木園ちゃんとRisa/李早。
 いいでしょう?
 だって、"木の園(その)"、と、"早い李(すもも)"…。



 
 「人生の出発は、つねにあいまい。まず試みよ。破局の次にも、春は来る。桜の園を取りかへす術なきや」

   
  ~by 太宰治 / Osamu Dazai




 Risa :*)