1月2日、十二所神社へ初詣...パワーストーンは虎目石



 





 1月2日は初詣、十二所神社(Juunisho Shrine)へ。こちらの神社はおよそ1300年前(和銅年間 - 708~715年 - 女帝/元明天皇 - 藤原京から平城京へ遷都)に創設され、天照大神をはじめ天神七代、地神五代の十二代の大神を祀っているのだとか。
 小高く、静かな森の中に建つとても心地よい神社である。
 私は祈ることをやめたと書いたこともあったが、初詣とはWikipediaによると、「年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。初参り(はつまいり)ともいう」と説明されているように、日本の習慣、行事であり、古くは『年籠り』と言われ、大晦日から元日の朝まで火を絶やさない習慣があったなどと聞くが、そのような事に触れると、古くから日本人の心に存在してきた自然との繋がり、自然への畏敬、風土臭を確認するために、欠かしたくはないと毎年思う。
 ここ最近は、寒さに弱くなったせいもあり、除夜の鐘が鳴るのを待つように、焚かれる火を見るために詣ることはしていないが、かつては毎年、大晦日のその時刻、出かけたものであった。思えばこの火を絶やさない行為とは、死者が出た時の通夜の線香にも同様の意味合いがあるのだろう。
 そうして、この詣での際、私が手を合わせて唱えるのは、必ず、まず、人々の健康と平和、最後に「そして私も元気でありますように」と、ささっと言い添え、締めくくる。今年もそれは変わらなかった。


 しかしながら、やはり新年といえば、おみくじ。
 境内にて、おみくじを引くために木箱に100円を入れようとした瞬間、気づいたのは、その脇に、"パワーストーン入り"、と添え書きされた100円増し200円の値のついた、開運みくじというのに目がとまる。
 私は自分の誕生石であるアクアマリンの気に入りの指輪をしているし、日常と旅のお守りとしてのガーネットのネックレスを常に首につけている。その他、時に心の案配で他の石の指輪やネックレスを身につける事もあるので、これ以上、パワーストーンという言葉にそそられて欲をかくのは、ましてや神前、不謹慎かとも思ったのだが、しかし、神社の側も100円増しで開運石を、と、庶民の小さな懐を開くよう手だてしているわけである。
「そうか、そういうことなら、こちらもこの不景気、我が狭き懐、開いてしんぜよう」、と、少し寛大な心持ちになり、つい、200円をポロリ、ポロリと木箱の中に納め、青い小さな袋を選んでしまう。
 封を開く。
 おみくじの内容は中吉、それくらいで、佳い。いつも大吉だったら、先が細るというものよ。
 そして肝腎の石はというと、"虎目石/Tiger's eye"、説明に寄ると、この虎目石は金運向上と仕事運、また集中力向上に役立つのだとか…<金運>と出ると、何だか私的には邪な気もするが、この"虎目石/Tiger's eye"の石言葉は"浄化"なのだとか。
 これも十二所神社の神々の与える所であるならと、有り難く賜り、信じてみようと、早速、その小さな平たい石を財布に入れた。
 ああ、私はただの一度も、これまで自分の<金運>や<仕事運>について、願ったことは無かったのだ。
 それらの成就への願望というものがずっと私の人生において欠如していた部分であることを告げてくれたかのような、これは今年の十二所神社からのメッセージなのであろう。100円増しにして得た、私の発見と思えば、神々と私は渡り合ったと言えよう。
 しかし、金銭伴う私の人生を願かけるのは、私の性にはあまり合わない。
 乞食王女だからな。
 恵まれずとも、何とか生きる。生きられなければ、消えるまで。
 さよならだけが人生とは、よく太宰は言ったが、彼は人に自分の惨めを見せたくはなかったのだろうね。確かにしゃべりすぎる男はよくないからな。


 さて、その後は新年のご挨拶にも出かけた。
 暖かい人々に囲まれ、暖かい食事をした後、夜の東京をドライヴだ。
 お正月の東京の夜はやはり普段より静かである。
 特に、下町辺り、街並も通りも変化しつづけてはいても、夜道は少し暗く、そこに聳えるスカイツリーを右手にしながら、昔、江戸の人たちは、何処かへ行くにも、人に会うにも、徒で渡ったと思うと、私も古の『富士講』となるべく、あの美しい山をいつか徒で登ってみたくなった。




 Risa Sakurai / 桜井李早 :*)