一個人としての声



 報道によると、安倍首相はアッバス議長に「許し難いテロ行為だ。日本国民は強い憤りを覚えている」と話したようだが、日本国民が憤りを感じているのはイスラム過激派のみならず、安倍首相に対しても同様であるという事を覚えておいてほしい。

 
 そうして、今日、私たち日本国民が、国民としての<言葉/声>も<自由>も奪われようとしているという抑圧に遭遇するとは考え難いだろう、この21世紀に。

 
 そこで日本国民も、現在のこの国の政権という名のテロリズムに日々遭遇しているという事に気づくわけである。


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000635-san-pol


 ついでに言うなら、今年の大河ドラマは朝ドラのようでありかつ詰まらない。どこぞの国家権力がNHKにこの国の首相のどこぞの故郷を紹介しかつ女性を主人公にせよと依頼したという噂もあるが、吉田松陰(寅次郎)も草葉の陰で泣いているだろう、いや"吉田"であろうと"車"であろうとお家を汚すのも粋のうち、と、いいたいが、役者が気の毒というもの。


 で、私はかねがね思ってきたが、NHK大河班、太平洋戦争を一体、いつになったらドラマ化できるのだろう。
 尻の穴が小さすぎないか?  
 中には誠意を持って伝えようと精進している職員もいると聞く。が、赤穂浪士よろしく、この国営放送局の吉良ともいえる者を罰するような姿勢が報道に関わる職にある人々に起るような事があってもいい世の中ではないだろうか。
 なに、それをテロとは言わないから、さ。



 
 車 寅子 - 李早