甘美な疎外感



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 1月6日、午前8時半の外の空気は、この季節にしては温もりがあった。
 少ない睡眠時間の割には、朝の私は身軽であり、食欲もある。
 ベランダで浴びる午前中の光は、12月のものと違い、緑に反射する光線の中に潜むのは淡い薄紫色の粒子たち。

 私はその後、外出するのだが、その私は、昨日までの私と違うのである。
 
 遊離・・・とでも言ったら、いいのかしら?
 
 車を運転し、普通に人と会い、普段通りに話し、用事を済ませ、帰宅する。
 ただ、変なのは、私が今まで日々気にかけていたかもしれない事に、私の心が反応しなくなっているらしいのだ。
 これは、孤独であり、疎外感に似ている、と、感じた。


 しかし、何とも甘美な疎外感なのである。
 これほど甘美な疎外感に寄り添ったのは、私が幼い少女だった頃以来かもしれないわ・・・。
 ・・・遠い昔、その少女は同じくらいの子供たちと上手に遊ぶことができなかった。飛んだり跳ねたりが大好きで、音楽が好きでよく歌い、よく笑う彼女だったが、子供同士で遊ぶことに馴染めなかった。隣の子供が楽しむことを一緒に楽しいと感じられないことがあり、そのおかげで、彼女は周囲からは変わった子供だと思われたかもしれない。
 彼女は大人と話す方がよっぽど楽しく、その話題に興味があった。彼女は少々生意気な子供と言われはしても、礼儀正しかった。だから大人たちは彼女を大人の仲間に入れておいた。
 小学校に入学する前、知能検査をしたことがあった。IQが高かったことを父親から知らされた・・・知らされはしたが、それは彼女がずっと成長してからのことである・・・成長した彼女は残念がった・・・何故、もっと幼かった頃、父はそれを私に言ってくれなかったのかしら・・・と。そうすれば、自分はもっと、人生に対して勇敢だったのではないか・・・と。
 だが、このIQが高いということは、決して彼女の知能が優れているという意味ではない。恐らく、4,5歳の子供としては、精神年齢が高いというのが正しい解釈である。
 それでも、そのことを彼女が小さい頃知っていたら、疎外感というものをそれほど感じる必要はなかっただろう。
 ところで、その疎外感は、辛いものでもなかったのである。同世代の中にあって窮屈だっただけで、彼女自身の生活の場にあれば、心地よい疎外感だったのである。
 年齢が二桁になる頃には、彼女は周囲と安楽に、かなり活発に溶け込んでいた。それは、すんなり運ばれ、どうやら、彼女の精神年齢が実年齢にだんだん近づいてきたかららしい。
 そうなると、彼女はあの疎外感を、今度はわざわざ作り出す必要があった。どのように・・・?
 それは、例えば、教室の中で明るく陽気にさっきまで笑っていたのに、或る瞬間、誰にも気づかれないように、そっと教室のドアを開け、学校を後にしてしまうような、気紛れ。
 彼女は自分だけの部屋に戻る。
 そこで、彼女は、老女のふりをしながら、何かを懐かしむような様子で自分だけの庭園を耕す。
 彼女はちっとも、お利口さんでは、ありませんでした。


 例えば、親しさの度合いや、おつきあいの長さとは別に、どうしても解せない関係にある人がいると、誰もが感じるだろう。これは、対個人であり、もっと広く、社会というものに感じることもあるだろう。
 そのような現実に出会う時、私は甘美な疎外感を摘み取り、微笑する。
 ・・・理解だけが、関係ではないわ、あなたと私は人間同士。あなたが私の或る部分を永遠に解せないとしても、私はあなたの心を理解できるわ。誰ひとりとして、同じ考え方はできないものよ。仮にあなたが共感し難い私の生き方の或るに部分を攻撃することがあったとしても、私はあなたの言葉を受けとめることができる。私は常に、相手の心というものを尊重したい。
 それは、本当の孤独を麗しく抱く者の姿であり、甘美な疎外感を欲する者の、精一杯の優しさかもしれないわ。

 
 私はちっぽけな罠にかかったように、或る気がかりな糸に巻き付かれて暮らしていたらしい。
 そのちっぽけなものから、遊離した、確実に。

 しかし、今も私に巻き付いているものは、外部からの糸などではない。
 では、何か?
 言ってみれば、私自身の裡に存在する神のようなものに巻き付かれているだけなのである。


 家族と、ほんの数人の友人のことを想った。
 
 
 受肉、瞑想、忘却、恍惚。

 このような言葉が浮かんだのは、この1月6日という日が、亡き祖母の誕生日だったからだろうか?


 目が醒めたら口に入れたいもの・・・苺と林檎。
 トーストと、ベイクド・ポテト。