4月16日、高田渡さんの命日/少女とチューリップ
今日、私に、私の歯がまだ乳歯だった頃を恋しく思わせたひとりの少女がいた。
それは夕刻、家路につきながら、或るお宅の庭先に咲くチューリップを眺めていた時の事。
突然ドアが開き、小さな女の子の顔が現れた。彼女が私に満面の笑顔をくれた時、その表情は、まるで平成版の幼女の頃の私のように映ったのだ。
「こんにちは」という彼女に、私も応えた。そう、今は4月半ば、18時を過ぎてもまだ明りがある。
彼女はムームーを着ている…もう、お風呂に入ったのかしらとさえ見える少女の清潔感と、春霞の中で、白とオレンジ色の花模様に紺色の縁取りのある服を着た少女の姿には、あどけなくとも、畏れなど何も知らない眩しい美があった。
私はというと、シャツの上から軽いダウンを羽織って出かけていたのであった。
皆、暖かいという今日この頃、私だけは、寒いのだ。
彼女の笑顔に見えた歯は、私が子供の頃の歯並びによく似ていて、彼女の目は、私の子供の頃の目によく似ていた。
昭和の少女と平成の少女の違いは、せいぜい髪型くらいのものだった。
また、あの笑顔に会いたいと思った。
そうして今日は4月16日、この日は高田渡さんの命日だ。
それは2005年、私がオランダから帰国した後のことだった。
その春のキューケンホフの庭にて、瑞々しく咲いていた様々な種類のチューリップを愛でた。水車小屋の中に入ったり、展望したり…この公園にも、桜が咲いていた。
そうして、私が日本に戻った時には、もう、桜は散っていた。
何もかも、足早に過ぎていかなくても、いいじゃないか…。
Risa Sakurai / 桜井李早