自負と偏見の人へ:



 よく聴いていないのだから何も言い訳できないのですよ。"非"があると認めているなら謝って終わりにすればいい、スッキリと。それが男40歳越えた自信と寛大さだろう。だいたい"侮辱"されたと言って反論する前に、そのアーティストに詫び入れるのが筋ってものだろう。
 例えば、ピアソラの弾いている楽器をバンドネオンではなく、アコーディオンと解釈している人が在ったりする。世間には、生で聴いた事のない音について誤解している人も在る事を知っている。
 だが、その人の仕事はそれ以下だったとも、言わば解釈できる。このような事が紙面に露呈された事は、恥じて当然なはずだ。
 自分の事を正当化するなら、そのやり方/書き方にも万全の配慮を持てよ。それが出来た時って、最高な気分になれるよ、きっと、アーティストなら解るだろう。しかし、評論する立場ではそのような気持ちになるのは無理かもしれない、叶わないだろう。
 何故ならそれは、<身体を消耗して作る作業>とは異なるから、だ。
 だが、それに嘆く必要はない。あなたが書く文章が、多大な影響を与え、それによって人々を未知の世界に導く事ができるのだ。それは佳い仕事じゃないか? だったら、もっと、更に、自覚してはみないか? 勉強してみないか?
「著名な芥川賞作家からお褒めをいただいたこともあります」と、ご自身の文章力を自己評価しているらしいが、その"芥川賞作家"もたかが知れていると考えさせられる。芥川賞の評価も私には下がるというものだ。あたかも、"芥川商"…"芥川小"、或は"芥川性"と。
 勝手な思惑だが、その芥川賞作家も、よく読まないで氏の文章を褒めたという訳だろう。
 <褒められて良くなる、強くなる>と、自分の性質を感じている人には、私は共感できない質なのでな。
 それは傷つく事が恐い証拠だからさ。

 
 例えば音楽、音楽と、音楽に携わる人々は思っていても、それは或る次元に過ぎず、確実に音楽が身近であると思っていても、そのものについての意識の異なりは様々であり、一口に言う術も無い代わりに、理解の深さ浅さなど、私にはどうでもいい。
 別の分野でも同様だろうが。


 私は、といえば、ただ、好きに歌い、綴る事が好きだ。






 Risa Sakurai / 桜井李早