...私の裡にはそういう墓場のような場所があり



 言葉は過ぎて、過ぎて、過ぎていく。時間軸と共に過ぎ行くだろう。だから<〜過ぎる>ということはない。絶やさないために、それが私のマルジナリアだ。

 現象には一過性があっても、さて、言葉は過ぎ去るとは限らない。嫌いなら焼くという術があるが、社会がそうしようとも、公から隠され保管された庭に遺された言葉は誰も焼き捨てる事はできない。

 私の裡にはそういう墓場のような場所があり、私はそこに咲いた花を食べながら血を入れ替えるのだ。




 桜井李早